僕は読書が苦手だ。
小さい頃から読み聞かせをしてもらったら、
すぐ寝る子だったそうだ。
それは今でも変わらず、
読書、数ページで寝てしまう。
だから、いっこうに話が進まない。
本からの知識ではない。
すべては実体験に基づく話。
その度に、感じ、自分の中でフィルタリングしてきた。
その辺にいそうな人間でも、
少しでも誰かのためにと、
志を立てたなら、
何処かの誰かがもしかすると、
1歩、良い方向に進んでるかもしれない。
そう信じて、
僕は今を生きる。
ーーー
僕の人生の分岐点
東日本大震災。
7年が経過した今も、
あの時見た映像が蘇る。
その度に、迫り来る津波を目の前に、
迫りくる恐怖と死の狭間の中で何を思ったのだろうと思う。
もう少し、
これもあれもやっておけばよかったな。
と思っていたのか、
自分らしく生きられた。
僕の人生に悔いなし。
と思っていたのか。
そう思えるまで、
あの言葉に出会わなければ、
こうは思わなかっただろう。
「多くの尊い命が失われました。ただ、亡くなった方々が命をもって、我々生きている人たちに伝えたかったことがある。」
「それは、今を大切に生きろ。ということ。」
今まで思い悩む性格でした。
どちらかといえばネガティブな人間でした。
不平不満や誹謗中傷なんて当たり前でした。
ただ、その言葉を聞いた時、
亡くなった方々に後ろ指刺されているような気がした。
「何してんだよ。」
「生きてるだけで幸せやん。」
「感情があるだけで幸せやん。」
ブーイングの声が聞こえる。
それを応援へと変えなければ。
だって、生きられてるのだもの。
人生一度きりだから。
その言葉を聞いた翌日、
勤めていた会社に退職する旨を伝えた。
サラリーマンをしながら、通っていたモノ作りの教室。
好きだから、あっという間にすぎる時間。
こればかりして、ご飯が食べれたら幸せだなと思っていた。
サラリーマンの安定収入と趣味のモノ作り。
葛藤しながら、のらりくらりと時は過ぎていた。
そんな時に起こった2011年3月11日。
ーーー
「好きなことをして、野垂れ死にした人を見たことがない」
そんな言葉を信じて、退職した会社。
趣味が高じて、貯金を切り詰めながらも、
ワクワクが止まらない。
自分の道は自分で切り開く。
好きだからこそ、
こうしたい、こうなりたいと明確に将来像が描ける。
思えば、思うほど、行動に移していたように思う。
毎日が無限大だ。
財布の中は空っぽだったけど、無限の可能性を秘めていた。
好きだからこそ、失敗も良い経験になったと思えたし、
好きだからこそ、いつもにこにこ笑っていられた。
「思考は現実化する」という言葉に、
僕は「好きだからこそ」という言葉を付け加えたい。
「好きだからこそ、思考は現実化する。」
好きが原動力となる。
好きは僕を突き動かすガソリンだ。